- 2024.07.03
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成功事例
福祉用具レンタル業 規格外の成長企業レポート ~前編~
INDEX -
わずか5年で6拠点展開!利用者数は3,000名から8,000名へと急成長!
驚くほどの成長を実現させた拠点展開と、人材採用&育成の圧倒的成功事例を業界初公開!
規格外の成長を続ける株式会社一宮福祉サポート!びっくりするほど会社が伸びる原動力に迫る!
急速に成長を続ける株式会社一宮福祉サポート、今回は同社の代表取締役である水谷正臣氏(以下、水谷社長)にその成長の秘訣を語っていただきます。
まずは株式会社一宮福祉サポートの特徴的なポイントを洗っていきましょう。
◆2019年~2024年にかけて6拠点を新たに出店
◆その間の利用者数は3,000名からなんと8,000名にまで成長!
◆拠点展開をする上で欠かせない店長人材を次々と輩出!
◆2026年までに利用者数10,000名を目指す!
◆社員数は現在の95名から、5年で200名まで増やす!
こうしたポイントを並べるだけですでに聞きたいことが山のように出てきます。それでは水谷社長に存分に会社のことを教えていただくことにいたしましょう!
弱冠30歳で社業を受け継いでから右も左もわからず経営に奔走する日々
ウチの会社は創業からもうすぐ50年になるところです。もともとは婦人服の小売りや一部製造なども行っている会社でした。 先代が両下肢麻痺で車いす生活となったこともあり、障がい者の力になれるようにということで会社のなかに「福祉部」をつくったのがこの事業のルーツだと聞いています。
その後、婦人服の小売りの商売も年々厳しくなっている折、2000年の介護保険スタートの時期から福祉用具レンタル事業が会社の柱になっていきました。
いまから16年前のこと、私が社長として会社を見るようになったのは、当時まだ30歳になったばかりで、周囲からは「若い社長さん」ということをいろんなところで言われました。
その年齢で社業を受け継ぐことになったのは、父親である先代社長が「若いうちから任せることで経験を積んだ方がいい」という考えがあってのことでした。
会社の舵を取るようになったものの、若輩者の私には会社の経営など本当に右も左もわからない状態です。とにかくまずは会社のことを把握し、いっぱしに運営できるようになるまでは無我夢中で走っていた感じで、正直なところあまり記憶もハッキリしないくらいです。
その当時は本社である一宮営業所のみで、すべてのエリアを回っていました。
中間地点である一宮を起点に、北は岐阜から南は名古屋へと本当に駆けずり回っていたような状態です。いまのご時世のなかここでは書けないくらいの残業時間を毎月やっていたことを思い出します。
それでもなんとかかんとか会社をハンドリングすることができたのは、周りの助けに恵まれたなぁと心の底から思います。
社員と一緒になって必死にやった甲斐もあって、そこそこ会社がうまく回るようになったのは社長になって10年くらい経ったころではないでしょうか。
ある先輩経営者の一言で目が覚めることに!頭の中のスイッチが切り替わった瞬間があった!
世の中がコロナ騒動で一色になる前、2019年まではウチの会社も1拠点で経営している会社でした。
その頃の利用者数は約3,000名、一つの拠点としてはそこそこの規模になり、経営も順調に回っている安心感から、自分自身としてもコンフォートゾーンに入っていたのかもしれません。
そんな私に転機が訪れたのは、ある先輩経営者との話がきっかけでした。
以前からお世話になっている方と食事をしながら話していた時のこと、
そう言われてハッとしました。
大きくしたいとぼんやりと思っているだけで、そのための実践や行動ができているかというと、まったくと言っていいほどやれていないのが実情でした。
一方で、その先輩経営者の会社はというと、ウチの会社の10倍以上の規模で、確かにものすごく人材採用に力を入れていてどんどん人が増えていっています。
いま思えば、その方からすると何気ない一言だったのか、あるいは私たちの会社の急所を狙い定めておっしゃった一言だったのか、いずれにしてもガツンと金属バットで頭を殴られたくらいの衝撃だったのは間違いありません。
その教えをきっかけにして、私自身の頭の中のスイッチが入り、一宮福祉サポートにとって、あたかも第2の創業がスタートしたようなものだと思います。
後編へ続く!